みれんタラタラ男、書き散らす

ちょっと気になってる人間がたばこの臭い嫌いらしいので、お金もかかるしこれを機会に辞めようかなっつって、3か月くらい経ったんですけど確実になんか精神的に来てるなあと思う今日この頃の私です。まあ居酒屋とかでも吸えなくなりましたしね、去年の四月一日から。なんの御冗談だよって思ったんですがその時は。酒飲みながら吸えねえとかクソじゃんっつって。でも吸わなくなると案外どうでもよくなるっていうか「あ、また消極的に死ぬ方法自ら断ってしまったな」みたいな気持ちになりました。

まあそもそも?ほかの人間を好きになるのって、死にたくねえって大声で叫んでるようなもんだと思うんですよね。好きな事とか物とか人とか無かったらもっと未練・節操なくありとあらゆる様々なところでダイブできると思うので。自ら未練作りに行ってどうすんだよっていう話で、本当に死にたいならそういうのは何もかも断ち切ってしまえばいい話で。それができていない私はどうやったって自死を選ぶことはできないっていう結論に至りました。至ってしまったのです。残念なことに。まあ、私が勝手にその人を気になっているだけなので、相手からは頭おかしいとか臭いとか死ねばいいのにとか思われてるかもしれないですけどね。思われてたらどうしよう、なんで生物はスクリーンから人が消えていくみたいにフェードアウトできないんだろう。もっと、死が曖昧なものだったらよかったんですよね。死んだら確実に終わりだってわかってるのって怖くないですか?私は怖いです。まあこの考えも最近手に入れたものですけど。

基本的な性質として、私は自分の理解できないものが怖いんですよね。大した頭積んでないからこの世の中にあるほとんどのものが怖いんですけど。その中でも特に、「他人から向けられる普通とかいう尺度」と死が怖いです。「普通ってなんやねん。変遷していくものじゃないんか?お前の普通で私を語るなよハゲが」って思ってます主に上司に普通を語られているときに。

で、消極的に死ぬ方法って日常に沢山あると思うんですよ。タバコを吸うのを筆頭に、塩分を沢山摂ったり過剰な夜更かしをしたり、酒を吐くほど飲んだりとか。寿命を縮める方法って言ったほうが何となくわかりやすいですかね。私は私の意識がはっきりしている状態でなおかつ周囲にできるだけ迷惑をかけないで死にたいなと思っているので。65歳位まで大病をせずに定年を迎えて余生を過ごすぞーってタイミングで死にたいんですよね。わかってもらえることは少ないんですが。でもそれくらいの年齢になったらまだ欲かいて無様に生き恥さらすんだろうなと思います、今と同じく。

結局、生きてるのって楽しいんですよね。少なくとも今の私には自発的に手放すことはできないんですわ。予約してる漫画とか受け取りに行かなきゃだしね、せめて今コミックス飼ってる漫画の完結見届けてから死にたいっすよね。でも完結するころにはまた新たな死ねない理由ができてて常に今は死ねないっつって生きてくんでしょうね。その理由が漫画とか映画とかじゃなくて、家族のためとかもっと人間らしい俗っぽい理由になってるといいな。