深夜の海とか

『いま暇?海行こうぜ』と友人からメッセージが来た。

こいつには時間の概念がないのか?明日は日曜日で私も休みだとはいえ今は23時半だ。私たちが住んでいるところは車で30分離れているからもうその時点で日付は越えるし、海までは下道で1時間半はかかる。

『今何時だと思ってるの。君は今日仕事だったんでしょ、早く帰って休みなよ。』送信。

即返信が来た。

『時間が遅いのはまあ悪い、でも見てみたくないか?深夜の海。』

……見たくないと言えば嘘になる。もちろんだとも、時期は初夏と盛夏のちょうど真ん中、梅雨もそろそろ明けるんじゃないかという頃だもの。そんな時期に海に行きたくないやつは人生が充実している。

思案していたら追加でメッセージ。

『車は俺が出す、ガソリン代は心ばかりを。』

乗った、こいつのことだから着いてからファストフードのセットでも奢ってやれば喜んで運転するだろう。

『わかった、〇〇のコンビニで時間つぶしてる』送信。

『あいあいさー』

なんとも気の抜ける返事だがこの人はいっつもこんなんなのでそこには触れないことにした。

 

ちょうど30分経った頃、飲み物買ってコンビニで待機してたら連絡。

『ついたよん』外を見ると見慣れた軽が停まってる。

車に乗り込み、アイスコーヒーを渡しながら問う。

「急にどうしたの本当に。私じゃなきゃ来なかったね」

「まあまあ、話すようなことは特になかったけど海に行きたいと思ったんだよ。でも一人で行くのはつまらないし何より怖いだろ?夜の海に一人なんて」

嘘だ。と思った。この人がこんなふうに私を誘うのは何かあって一人でいるのが嫌なときだけだ。わざわざそんなこと言うほどじゃないからへえそうかいと返した。

「じゃあ、よろしく頼むよ?運転手」

へいへい、と言いながら車を発進させる。

こいつに運転させるときはだいたい私が音楽を流す。そもそもこいつは流行りの音楽にすら疎い。自分で聴くのは学生の頃に私が教えたアーティストの曲ばかり、最近のものは聴いていない。

 

案外あっさりついてしまった。深夜の海は穏やかで、磯臭い風が肺に染み入るのを感じた。

「話すようなことはないって言って、マジで何も話さないやつがいるなんて知らなかったな」

話しかけても相槌しか返してこなかった運転手にそう言った。彼はタバコをふかしながら何か考えてる風だ。私は続けた。

「タバコ、まだやめてなかったの。運転中は吸ってなかったし車も前ほど臭くないからやめたのかと思ったよ」

「習慣はそうそう消えないもんでね。今は食後と仕事中しか吸わないけどさ」

「その食後と仕事中しか吸わないタバコをどうして私の前で吸ってるの?緊張でもしてるのかな」

彼は海を眺めたままタバコを吸っている。まだ何か考えているのか、あるいはただこの雰囲気を楽しんでいるのか、わからなかった。

「うーん、言うべきじゃないってわかってるんだけどな」彼は風にかき消されそうなほど小さな声で独り言ちた。

「何を言うべきじゃないの?」

我ながら大根役者みたいな返しをしてしまったと即座に後悔した。聞き流すべきだった。

「いやぁ、ははは」

会話を流そうとする君に腹が立った瞬間には、もう胸ぐらを掴んでいた。

「ねえ、ごまかさないで。ちゃんと言わなきゃわかんないんだよ、私は」

まっすぐ目を見て言う私にたじろいだ君はそれでも私の目をまっすぐ見て言った。

「特に言いたいことはないよ。人が濁してるんだからそれを聞こうとするのは野暮ってもんじゃないか?」

彼は『今は話さない』と決めたようだった。

私も最初は聞き流すつもりだったし、脊髄反射で質問した私にも非があると思った。

「ごめん、わかった。話したい時に話してよ」

ん、と彼は一瞥もくれず反応をした。

 

帰りの車はお通夜状態だった。

行きの車も会話らしい会話はなかったけれど、音楽を流すのさえ憚られるような空気で、そんなときでも時間が遅いせいで眠気が徐々に現れてきた。午前2時半、家まではあと1時間程度かかる。

「ねえ、休憩しないの。」

「……。早く帰りたいだろ?」

「まあね。でももう3時間近く運転してるでしょ、そろそろ一回休憩したほうがいいと思うけど。」

「じゃあ、お言葉に甘えて次のコンビニで休憩させてもらうよ。」

よろしい、と相槌を打ったところで限界が来た。

「私寝ててもいい?」

彼は少し考えてから、いいよ、と言った。

 

うつらうつらしていたら車が止まった。起きる気はない。彼は車を降りて、コンビニに行ったらしかった。

飲み物の一つでも買ってあげてもよかったなと思ったが、眠気には抗えない。すぐ落ちてしまった。

 

「おい、起きろ。着いたぞ。」

「んん……。わかった……、お疲れ様。」

「そういうとこなんだよね。」

はあ、と息をついて私が怪訝な顔をすると彼は続けた。

「今日なんて俺が海に行きたいからむりやりお前を連れ出してるのに、ずっと俺のことを心配してくれてただろ。それを顔に出したりはしないけど、なんとなく空気でわかるよ。」

「まあね、付き合いももう長いしさ。」

「俺は、お前のそういう他人を気遣うところがとても善い事だと思うよ。有り体に言えばそういうところが好きだ。」

「そう、それで?」

何を言うつもりなんだ?と目で続きを促した。

「うん、なんと言えばいいんだろうな。こういう時に。」

「そこまで言って?そこまで言って続きを考えていない事ある?」

「煽るなよ、恥ずかしいだろ。」

「素直に言えばいいじゃん。それとも私の方から言わせる気?」

「あーっ、はいはいわかったよ。」

 

「あなたのことが好きだ。付き合ってください。」

「言えるじゃん。」

場所は深夜の車中だけど、時間は日曜の深夜だけど。私は今この瞬間、世界で一番幸せだと思った。