怒りは可燃物か否か

喜怒哀楽の中で、前進することに関わる感情はきっと怒だけだと思っている。だけど、公衆の面前で怒りを発露するのは、美しい行為だとは思えないしそもそもうまく怒りを発露することができない。感情は、私には過ぎたものなのかもしれない。私は多分、感情をうまく使うことができない。

私は、生きている以上どんなになっても前進を止めることは悪だと思っているから、周囲と比べて遅れている自分を見て、怒りを覚えているけど、その怒りをうまく前進することに使えていない自分を見ると怒りを通り越して悲しくなってしまう。でも、悲しいからって踞っていても、誰も手を取ってくれはしないことも知っている。自分の力で立ち上がらないといけないんだけど、立ち上がったら歩き始めないといけないから、考えあぐねている。どこに向かえばいいのか、どこに向かっているのか、よくわからない。普通の大人になってると思ってた過去の自分に謝りたい。ごめんね。

周りの人間は強い。自分の将来を見据えて、それに向かって勉強している人や、そこまでではないけど学歴を得る為にちゃんと学生をやっている人もいる。私はなんだ。就職しただけで何も変わっていないような、やもすれば後退しているような気さえする。そんな自分に怒りを覚える。やりたくなくても将来的に私の身になるなら、それはやるべきだ。ごちゃごちゃと理由をつけて逃げ回るのはいい加減やめたい。でも今までそういう楽な生き方をしてきたから、難しい。どれだけ傷まみれでも生きてさえいれば勝てる世界で、自ら死を選ぶのはいただけない、ような気がする。

時間が無限であればよかったのに。されば、揺蕩う水のように、夏の日の植物のように穏やかに生きていけたのに。時間が有限である為に、私は死に向かって生きなければならない。怒りが喉元まできている。とても不快だ、叫び出したいくらい。