私達は夜の中にいるが、それはそれとして諦めることは許されない。

どうも、最初の頃より投稿頻度が落ちて内容も鈍ってきている私です。内容が鈍ってきているのは完全に私の落ち度です、悲しいな。理由を語るときに一言目に社会人と出てくるのがだいぶ腹が立つので詳しく述べるのはやめておきます。私もあなたも一秒ごと死に近づいているので、こんなところで時間を浪費したくはないでしょう。もっともこの文サラダを無駄だとか感じる人は恐らく一行目すら読むことはできないので、ここまで読んでくれている無駄を愛するあなたたちには関係のない話ですね、失礼しました。

わからないものにこそ恐怖や不安を抱いたりする生き物が人間その他なので、死を宗教で調理して下らないこじつけをもって説明しようとしているの、ちゃんちゃらおかしくていとおしささえ覚えてしまいそうです。人間というか私の話なんですけど。死ぬことは怖いですね、過程が怖くてしょうがないです。どう死ぬのか老衰で死ぬのか事故ですぱっと/苦しんで死ぬのか、病で死ぬのか、まあまあおおむねこの三つに別れると思うんですけど、死ぬことだけは決まっているのに過程が決まっていないの、おかしくないですか?おかしいと思います。だからと言って私になにかできるか、と問われれば答えはもちろん否です。死ねばただ肉の塊になるだけなのでそれは安心ですね!はっぴー!安心と納得と金は幸せへの近道だと思っています、特に三択目。

好きな相手が好きだった相手に変わる瞬間の痛みがどうにも苦手です、やっと掴んだ手を私から離すのは嫌なので持ってってほしいくらいです私の手。まあ、別れは成長のきっかけになったりするので一概に悪いとも言えませんが。たまに思い出したときに熱に浮かされていた自分を客観視して恥ずかしい気持ちになったりしますが、そういうのもたまにはいいもんだなぁとぽわぽわしておきましょう、そういうことにしておきましょう。

根がネガティブで悲観的なのですが、それを相手に悟られるのはっきり言ってとてつもなく嫌なので先手を打って言葉にしてみたりします。そうすれば余程コミュニケーションをとるのが下手な人間でもなければそこには触れてこないので気分が楽になります。最高ですね、ははは。相手に勝手に型にはめられた場合はできる限り距離をとりたいと願います、ええ、そう、願うだけです。別にイラッとするだけで実害はないしーみたいなー。まあそれ以上に踏み込んでくるような人にあったことはあんまりないので私が宗旨について怒りを発露したことも片手で足りる程度なのですが、怒るのってエネルギーめっちゃ必要だなとか思います。わざわざ他人のために疲れることはしたくないですね、アホらし。

題名の話でも。私達、というか私の話ですが。少なくとも私は不安だったり恐怖だったり憤怒だったりを両手いっぱいに抱えて歩いているんですけど、荷物に絶望して諦めてしまうことはもったいないな、という気持ちが勝手に題名になりました。これに関しては私に非はありません。彼が一人でやりました。ええ。