夏信仰の話

晩ご飯を食べ終わって、ふとコーラを飲みたくなった。いつまでもやせない原因だとは思いつつ、それでもあの甘ったるくもスッキリした感覚を味わいたくなったので外に出た。

外は昼間少し出掛けたときとは打って変わって、風が冷たく、月には薄く雲がかかっていた。朧月というやつだった。まだ実家に兄がいたころ、いい感じに朧月になっていたので「いい感じにおぼろってるぜ」と話しかけたら「新しい表現を作るな」と笑いながら言われたことを思い出した。そんな月だった。

私の家の周りには、およそ田んぼと畑しかないので、これからの時期は蛙の鳴く声が気になって仕方ないのだろうとこれまでの経験をもとに考えている。悪いことではない、むしろ蝉の声なんかよりはずっと涼しげなので、気分自体は悪くない。私は四季折々目まぐるしく回る事柄がわりと好きなので、夏を感じる蛙の声や蝉の声、抜けるような晴天と雨の匂いを内包したぬるい風とか、今年も体験できるであろう、下らない、心のこもった事柄達が実は少しだけ楽しみだ。私は日本という国の夏という季節を信仰しているので、ちゃちな花火大会や仲のいい友人達との約束が「なかったこと」になってしまっている現状をよしとは思えないが、この話を始めると駄散文がよりまとまりのない幼子の夢のようになってしまうのでやめよう。

 

信仰の話だ。雑に考えても夏には初夏、盛夏、晩夏がある。初夏は今くらいから六月くらいまでらしい。初夏の思い出と言えば、こどもの日の鯉のぼりだとか、六月頭から中旬にかけての少し肌寒いプール開きだと思う。私はクソガキの例に漏れずプール大好きっ子だったので体育は嫌いだったがプールだけは楽しみにしていた。泳ぐのが好きなわけでもないのにプールの授業は楽しみだった、あのワクワク感は思い出すだけでも最高だ。ハイターを使って台拭きを漂白してるときとか、ちょっと思い出して可笑しくなる。

盛夏は、今は九月の中旬くらいまではそうなんじゃないかって錯覚するくらい暑いが、七~八月初旬までを指す言葉らしい。この時期と言えば、夏祭りとそれから夏休みであろうな。夏祭り、私はとても好きだ。というか祭りで買う割高な大して美味しくもないようなたこ焼きや広島風お好み焼きが好きだ。あれをラムネと一緒に暑くて疲れた胃に流し込むとなぜだか元気が湧いてくる気がする。というか楽しい。食事に楽しいと思うことは稀だがあれは別格だと思う。

夏休みは、印象に残っていることが少ないが、強いて言うなら読書感想文だろうと思う。私はあれを書くのがとても苦手だった。というか、読書感想文を書くように指定される図書類の話が苦手だった。あれらは、わりと現実と地続きな内容の話が多いと思うのだ。私は奇想天外な話やあり得ない、ファンタジーやミステリーといった話を読むのが好きだったので、読書感想文を書くように指定される図書類のいわゆる「青少年向け」の作品は少し理解が難しかった。「文章として書くことはできないが、そりゃまあそうなるだろ」という内容の物語を読んで読書感想文を書くのって非常に難しいと思うのだ。学生にとって、一度しか読まないハードカバーの小説は、嵩張るし高かった。なのでいつも終わり際にまわして、過去の自分にぶちギレながらなんとかそれらしく納めていた。

晩夏、これは八月中旬から九月の初旬までを指すらしい。お盆くらいか、思い出があるのは。私が住んでいる家は、分かりやすく言うならば本家なので、皆が盆暮れ正月に集まる。年の近い従兄弟が一人おり、そいつとはなんとなく趣味も合うので会うたび下らない話に興じている。お盆は好きだ、仲のいい従兄弟と話せるし焼肉が食える。でもそれくらいだ。

あとは、新学期の開始とかか。私は学校には友人に会いに行くタイプの人間だったので夏休みが終了しても苦になるのは生活習慣を正すことくらいだったが、そうでもないやつらはもっと休んでいたかったとか言っていた。その考え自体はとてもグッドだと思うが、不当に休めば休んだ分だけ、生きにくくなるのは己なので仕方ないのだろうと諦めていた。

 

私は鮮やかさとか、からりとした天気と相反するじめじめした空気とか、ぬるりと吹く風とかそれを紛らすための水とか、読書の似合わなさとかが大好きで、寄せ集められた矛盾の塊としての夏が大好きだったし、これからもよほどのことがなければずっと好きなままだと思うので、これは信仰と呼んでもいいんじゃないでしょうか。