でも、その気持ちは本当だったよ。

「身近な人を亡くすと声から忘れていくらしいですよ。」と、前に後輩に言われたことを思い出した。

随分前のことだと感じたのはきっとそれが学生の時分の思い出だからだろう。私が卒業してから、あの可愛らしいとしか形容できない後輩とは数えるほどしか会っていない。そもそも母校に数えるほどしか顔を出していないのだから当たり前だ。

私はあのアニメカルチャーを大好きな後輩が大好きだった。いや、ただ気に入ってただけで好きというのはまた違うのかもしれないが、この後輩には幸せになってほしいと切に願っている。これまでもそうしてきた様に、これからもずっと祈っている。共に生きたいとは言わないので、世界中の誰よりも幸せだと思えるほど幸せになってほしい。

声を忘れる話、私は嫌いじゃなくて、どれだけ好きでも愛していてもその気持ちは風化していくのがなんとなく救いのような気がしている。ずっと誰かを好きでも、その人に手が届かないなら意味がないから、忘れたことにして前を向くのには大事なことだと思う。日常に忙殺されて、自分の好きだったものすら薄れていくことを私は知っているから。私は生きている限り、前を向いて歩いていくのが義務だから、どんなにその人が好きだったとしても、私が立ち止まることを、その人はきっと良しとはしないから、好きだったことは嘘にも無かったことにもならないから、好きだった事実を、薄れていく愛を抱きしめて零れないように剥がれないように大事に持って歩いてくしかないんだな。

成人したくせに、好きだとか愛だとか恋だとかをずーっと考えている。そしていつもわからなくても生きていけるしなぁとかぼけた事吐かしてわかったフリをしている。寂しいので誰かと一緒にいたい気持ちがあるけど、そんな私の独善的な思考に誰かを巻き込むのが嫌だ。やはり消えてしまいたい。ヒュッ