薄氷の上にて

自分の好きな人とか大事な人たちって言うのは、明日も明後日もずっと先の未来でも私と一緒にいてくれている生きていてくれるとぼんやりと思ってしまうけど、実はそんなこともないのかもしれない。というのも、小学6年生の頃から使っていたマグカップが壊れてしまったのです。なんの脈絡も予兆もなく。

私がそのマグカップを買ったのは100均でした。少しくすんだ黄緑色の少し大きめで無地のマグカップでした。とても気に入って使っていたので、壊れてしまったのは少し残念でした。使おうと思って取っ手を掴んだらぽろりと、まるでそうなるのが当たり前かのように壊れて落ちていきました。悲しかった。

人も同じかもしれない。前日にどんな会話をしていようと、次の日には昔からそうであったような、どこか穏やかで静かな幸せを内包した顔で死んでしまうのかもしれない。或いは死に別れることはなくとも、生きていく道が別たれるかもしれない。かもしれない人生。永遠も絶対も存在しないんだなぁ。不老も不死も私たちに力を貸してくれることは無いんだ。どんなに完璧に見えても万物にはどこかに綻びがあって、私たちはそのいつ終わるともしれない薄氷の上で平静を装って生きていくことしかできないんだな。

私の背丈が今の半分位だった頃、世界が薄氷の上になりたっていることなんてどこの誰だって教えてくれなかった。誰かから教わるようなことじゃないのかもしれないしいわゆる一般常識に含まれているのかもしれない。私は生きるのがヘタなんだ。薄氷を何枚か踏み抜いて、ようやくここに到ったので。

世界だとか心だとかは、一度壊れたり解けてしまってからそこにあったそれに気がつくんだと、どうしてもっと早く理解しなかったんだろう。