文サラダ 海の家の焼きそば味

どっか行ってしまいたいな。そう思うことはないだろうか。私は目の前の問題から逃走したくなる気持ちを抑制して今立ってるので、なんらかのタイミングでそれを抑制する必要がなくなったらきっと私は逃げ出してしまうだろう。何がしたいわけでも何ができるわけでもないけど、夏の夕暮れと並行して歩いてみたいし、冬の澄んだ夜に白い息を吐きながら星々に思いを馳せたりしたい。足がない訳じゃない、考えがないんだな。車だって持ってるのに、行こうと思えばどこへだって行けるかもしれないのに、私はその足を動かすことを恐れているのだ。明日も仕事だしとか、遅刻したくないしとか、そんなくだらない考えだけで足を動かすことを躊躇っているのだから目も当てられない。現実が見えていると錯覚しているだけ、後に待つ面倒を回避するために注力しているからすべてが面倒に見えて、結果とりあえず一番楽そうな選択肢だけを選び続けている。そんな生き方は間違いだと思う。そんなのは人の生き方ではないのかもしれない。だからと言って面倒なことに手をつけるかと言えばそうではない。逃げたいという思いは、何重にもオブラートで包んだ死にたいという感情だ。問題から目を背けても状況がひどくなるだけでなにもプラスにはならないのに、それでも 、それでも私は逃げ出したくなってしまうのだ。現代社会において逃げることは社会的な死を意味すると考えているので、踏ん切りがつかないのだ。自分自身に負けたくないので、迷っている内はまだ負けてないのでなんとか生きていられるけど、負けたくない私が逃げ出したい私に負けたら、どうなるんだろう。首でも括るか。わはは。