理想と幸福はゴミ箱へGO!

弱い人間なので恒久的な欠落を認めることが幸福への一歩ならその方向性で幸福になれなくてもいいかなとか思ってしまうな。愛とかいう得体の知れないもので私の穴を無理くり埋めるなんて、相手に失礼じゃないかなとか思ってしまう。好きだけど好きじゃないから好きです。矛盾を抱いて歩いてこその人間という生物なのかもしれない。妥協したら幸せになれるのかもしれない。欠落を認める、余人はそれを妥協とか諦めと呼ぶのだろう、ならば私は自分自身の妥協も諦観も許さない。許したくない、今までさんざ積み上げてきたそれらを否定したい。私は過去の自分を認めてやりたい一方で、認めてはいけないと思っている。普通の人間はきっとこんなことをわざわざ文章に起こすこともしないだろうし、文章に起こしている私が普通ではないからすごいと言いたいわけではない。こんなことですごいって言ってほしくないけどそれはそれとして評価はほしい。

 

将来の夢、本当に叶えられましたか。私はダメでした、多分。これからもきっと理想の自分にはなることができないんだろうなってふわりと思っている。生きていくことは大変なエネルギーが必要で、本当に成人するまで生きていられるのか今でも不安です。12歳の頃の私は確か、漫然と夢は叶うものだと思っていたでしょう。そんなことはありませんでした。あなたはなりたかったものになれていないし、生きたかった生き方はできていません。あの頃でもたまに死にたいとか思っていたかもしれませんが、今はほとんど毎日です。いつかすべてに終わりは来ます、それだけです。あなたの夢は叶うことなく潰えてしまうし、あなたの人生はきっといつか終わります。死んだら誰も悼んでくれないだろうと思います。あなたもおそらく、道端の死体を悼むことはないでしょう?そういうものなんです。特別ではないあなたが、誰かから悼まれて死んでいくことは永遠にない。なにもわかりません、あなたはこれからの人生に思いを馳せて楽しい人生になっていくだろうと夢想しているかもしれませんが、そんなことはありません。ずっと頑張らなきゃいけないのは私のとってもあなたにとっても苦痛であると知っています。何せ私自身なので。だから私を殺すのはきっとあなた自身です。私は過去の輝かしかったかもしれないあなたにきっと殺されるのです。無念。