狭いところは大好きでした

心の隙間を埋めたいな。私の心は猫の額より狭いから大した広さじゃないんだけど、その狭い心にある隙間が私は未だに好きになれないんだよな。どうやったら埋まるんだろうな、酒は未成年なのでまだダメだし、甘いものは一緒に食べる人がいないとそうでもないのだ。私は一人で行動することもできるだけで、基本性能的には誰かといろんなことを分かち合うことが好きなので、最近はどうしても寂しさを覚えてしまうのね。周りも就職したから遊びに誘うのはなんだか気が引けるし、私自身もあまり出掛けられないし。一人で1000円の手頃でうまいもの食べるより、仲のいいやつと100円のおにぎり食べる方が楽しいと思うんだよな。私は人生において楽しさを重視したいなと常々思っているんだけど、案外そうもいかないんだよね。目に映るのは悲しみばかりだ、そういうフィルターがかかってる時期なのかもしれないけど。

そう、悲しみフィルターが容易にかかってしまう人間なので自分で自分の機嫌をとったりしなきゃいけないのだ。まあそれが普通なのだけどね、意図してやろうとすると存外難しい。自分を俯瞰するのはまあまあ楽しいが、楽しくてもうまくいかなきゃ意味がないし。好きな曲を聞いてみたり好きなゲームをやってみたり映画をみたりご飯を食べたりいろいろ手段自体はあるのだけど、ここのところ有効なのは好きな曲を聞くことと旅番組をみること、それから読書だ。この文サラダを作るのもまあまあストレス発散になってる。というか、自分を俯瞰するのに最も適していると言っても過言じゃないと思う。ストレス発散はストレス発散なので隙間は埋まらないし、この隙間はおそらく人肌恋しさから来るものなので、仕事をしている間は埋まるべくもないのだが。生きていくだけでも大変な量のエネルギーが必要なんだなぁ、とか再確認しています。

隙間を埋めるのに最適なのは好きな人と一緒に過ごすことなんだけどそれこそ望むべくもないんだよな。私ももう若くないので、手がどこまでも届かないことは知ってるし、そもそも私が触れていいような人間じゃないんだよね。うふ。ここ1年くらい顔を合わせていないから顔も声もおぼろげだけど、それでもそのおぼろげな顔が声がいとおしいんだよな。一人で抱えて墓まで持っていきたいな。午後もなんだか頑張れるような気がしてきたな。頑張ります。