手に夢を、怒りを足に

生きることに理由はいらないらしい、それでももっともらしい理由付けをしたくなってしまう私のそこの浅さが知れますね。だって、なぁ。ただ存在しているだけだと誰からも邪魔にされるような世界で、何の理由をも持たずにただ生きていていいって、なんだかあんまり気分がよくないな。好きな人とか大好きな人とかには、ただあなたがあなたのまま生きていてくれれば私と話すことがもう能わないとしても私は満足だし、つまりそういうことなのかもしれないけど、私は私がただ生きていることに我慢ならないんだろうなと思う。変なところで真面目だなぁ、何かを叶えるために生きることは理由に含まれるし。それは実現可能な私にふさわしい手の届く安っぽくて唯一無二の夢なので、私以外に価値のわかる人なんていなくても私が裁定するので構わないんですけど。夢を叶えるために生きることは美しいけど、私はミュージカルの端役でもなければ恋愛ドラマの敵役でもないので、自分の欲望に忠実に幸せに生きることなんて最初から制限されていて許されちゃいないのだ。だから、その怒りを足に巻き付けて、両手一杯の夢を叶えるために裸足で悪意の硝子片の地獄へと歩き出さなければならないんだ。これ実はみんな普通にこなしていることなんだけど、私は意志が激よわなのでこういう風にたまに言葉にして決意しなおさないとダメになってしまうんだよな。