Z級映画の大団円

物書きになりたかった、他人の心を動かすような素晴らしい文章が書きたかった。私には書けると思っていた、そんなことはなかった。

思うに、幼年期の死とは夢の失墜だ。自覚することだ。ある時私たちは「自分には何の才能もなく、見下していた周囲の人間と似たり寄ったりの一般人である」ことに気づく。それが夢の失墜で、夢の天敵は現実という名前の集合的無意識だ。私の夢はそんな下らないものに殺されてしまった。

そこから、また夢を見ようとしても無駄だと思う。見方が変わっているので、前と同じように見ようとしても獲得した現実が邪魔をするのだ。どうあがいても前の自分には戻れない、完治することのない傷病を抱えたみたいな感じだ。そうして、自分としての形を歪められたまま私は大人にならざるをえないんだろう。なんだか、最悪だ。クソみたいな映画のラストシーンみたいだ。映画のほうがマシだな。映画は2時間もあれば終わる、私の人生がいつ終わるのかは私にはわからない。

夢は私に深くて大きな爪痕を残して、どこかへと消え失せてしまった。失望したのかもしれない。私はその爪痕をみて、その傷を庇いながら、また一人で歩いていくしかないのだろうな。