じんせ~のはなし

間違いの多い人生だったけれど、なんで8月末日に自室で冷たい焼き鳥を頬張っているんだろう。わからない、どこから間違えたのかわからないから修正のしようがない。困っちゃった…。困っている…。修正できないので放置しておこう。よくよく考えてみれば大した問題ではない、いつものことだ。私は矛盾を携えて生きている。社会不適合者なのに無理して社会に馴染もうとしていたらなんだか変な風になってしまった。いつも急に泣き出しそうな気持ちを押さえて愛想笑いを顔に張り付けている。一人のときは別だけど。私には少なくとも1週間に計24時間ほど一人の時間が必要だと思う。携帯をいじっていても一人だ、繋がっているようで私たちの心はしっかりと隔絶されてしまった。私がもう一人いたらきっと毎日慰め合う日々だと思う。ただ生きているだけ、ただ社会人の義務を果たしているだけなのに、偉いと言われたいのは私のただのわがままで、それは1日めから弁えているので本当に親しい間柄(と私が勝手に思っている相手)にしか褒めてほしいなどと妄言を吐いたことはないし、そもそも褒められた生き方ではないので褒められると余計に虚しくなる。今の私に必要なのはやはり慰めだと思う。処方せんとかでないだろうか、5万までなら出す。ふふ、実は生きていて悪い人間なんてこの世界のどこを見渡したとしたってどこにもいないのだ。夏休みが終わるから死にたくなってしまうのは誰だってそうだけど、君の敵のために死んでしまうだけの理由があるんだろうか。君の敵は君のことを抱えて歩いて行ってはくれないんだよな。どうせ忘れてさぞ美しい美しい思い出に昇華されてしまうのが関の山なので、君が死んでしまうことに意味なんて全くと言ってないし、生きていなければ来週のジャンプも読めないんだよな。そう、生きる意味なんてお菓子食べたいとかそんなふわっふわで軽いものでいいのだ。重たいと投げ出したくなってしまうので常に持っておける雲みたいに軽い死にたくない理由だけでいいんだよな。生きてく理由じゃなくて死にたくない理由なんだよ、重要なのは。私は好きな人をもう一度、もう一度だけ目に焼き付けるまで死ねないと思っているし、マシュマロ食べたいし、ふ菓子も食べたい。FGOも最後までプレイしたいし今乗っている車ですっかり走りきってしまいたい。そんな適当なものでいいんだ、いきる理由なんて、バカバカしいほどいい。他人に迷惑をかけない範囲ならどれだけ自分の欲求に素直になったって構わない。

 

好きな人と焼き肉とか行きたいし、無意味に夜が明けるまで映画とか観たいし、世界が終わるとしたら私はずっと隣にいたい。でも、それは私の思いだけで、相手の意思を完全に無視したものになってしまうから、私の思いを通すくらいなら、それをねじ曲げて、大大大大大大大好きなあなたにそれを見えないように片付けてしまいます。それも一種の愛でしょ?