進まなければいけない気がしていた

死ぬのは怖かった。だから極力、考えることをやめたかった。私の性分として、くだらないことでも考えるのをやめることができなかった。熱い鉄板の上を歩かされているような気分だった。逃げて逃げて逃げて逃げ回った結果の人生の癖に、ここからさらに逃げ出したいのなんてなんて自分は弱いんだろう。完全に負けてしまいそうだ。

夜は、嫌いなときもあった。何度も何度も自傷行為に走りたかった。生きていくことはどうしようもなく苦痛で、内蔵を常に掻き回されているような違和感と不快感に取り巻かれて生きている気がした。夏でも掛け布団を手離せなくなった。歩いているときは何も考えなくてよかったからすきだった。

私は、不登校という選択をできるほど強くなかった。彼らは、自分のことを弱いとか駄目だとか思っているかもしれないけど、そうじゃないのだ。死にたくても今向いている方向に進まなければいけない気がしていた。私が向いている方向が前ではあるが、それは果たして原初に夢を見た方向だっただろうか。今ではもうわからないし調べる手立てもない。死ぬしかないと思っていた。どうあっても逃げたかった。お風呂で溺れてそのままどこかに沈んでしまいたかった。

夜中に急に目を覚ましてしまったときに、考えすぎて泣きそうになってしまった。自分はもう大人の体で、社会人なのに、心だけは成長しないままで、無邪気でありたいと思う心と無邪気であることはできないとわかっている振りをしている心があって、彼らは大陰太極図のように交わることはない無限の螺旋だった。

跪いて祈るしかなかった。私がどうか死ぬほどではない大きな病気になることを祈りたかった。どうにかして学校を休みたかった。誰にも見つからないどこか遠く遠くまで歩き疲れるまで逃げてしまいたかった。疲れ果てるまで歩いて誰にも見つからない場所で誰にも迷惑をかけずに死んでしまいたかった。

親とか、周囲の人はどうしようもなく普通だった。私が学校を休みたいと言うと親は怒ったし無理にでも学校に連れていかれて、死にたい気持ちで授業を受けていた。窓際の席は選ばなかった。思考を停止することはできなかった。

考えなしだった。就職して、広い世界に出れば視野とか、周囲の人の質も上がると思ってた。そんなことはなかった。狭い世界から狭い世界に移動しただけだった。手の届く世界はそもそもなかった。障害があればよかったとさえ思った。

もう、私に宿っていた守るべき"夢"は守れなかった。私は脆く弱く、吹けば飛ぶ綿毛のような人だった。綿毛のような人だったのに、飛んでいくことができなかった。重たかった。

 

学生時代を思い出して書いてみた。死にたい気持ちを忘れた時は一瞬もなかったし、抱き締めてもらいたかったしどうにかして死にたかった。今でも死にたい。