文サラダピリ辛味

生半可な覚悟で生きてるので見えてる地雷を踏み抜かれて死にたくなることがあります。誰も踏まないと見るやいなや自らいじられキャラに突っ走るのやめたいです。いじられキャラは多大な労力の上に成り立っています、その汚い手で無遠慮に触らないで下さい。なんでこんな生き方を選んでしまったんだろう、悲しくなってくる。いや大して悲しくないけど。自分の選んだ生き方の責任は自分しか背負えないのでヒトのせいにしてる人見るとちょっと笑っちゃうんですよね、若手芸人くらいは面白いですよ、マジで。確かに最初は選ぶことができないけど、最初だけなんですよ。母親から出てきたら戦って自己を獲得するくらいの気概で生きていけよ。それもできないくせに周囲のせいにするなよな、道化に失礼だぞ。それも無理なら仕方ないだろう、戦わずに生きていける術を身に付けるしかない。戦わずして負けるか、戦う前に勝つかのどちらかしかない。私は、戦うことを放棄した先で自己を獲得したので戦う前から負けてるんですよ。錆びた剣で、弦の切れた弓で、ボロボロの盾で、一体何が出来ようか。でもこれが私の選んだ生き方なので、どうにか生き残るために尽力している。楽天主義なので生きていれば最終的にどうにかなると信じているしどうにもならないときはすっぱりと諦めるしかない。手を尽くした先でどうにもならないならそれが最善手だったと誇るといいと思います。私はそうします。というか、これで私が悲観主義ではないことの反証になりますね、嬉しいことです。私は世に言う人生のドン詰まりというものを知らないのですべてに悲観していいような人間じゃないんですよね!目に映るものすべてを悲しむような労力は残ってないんですよ。朝起きて仕事に行って働いて帰って来てご飯を食べて風呂入って寝る、このルーチンワークに絶望や悲観を挟む余地はないんですよね。直近で絶望してることも今のところないですし十全に前向きな人間と言えるでしょう。死にたくなることがあるってことは裏を返せばいつもは死にたくないってことなので最高に前向きな行為ですね。イェイ。舐めてもらっちゃ困るんだ、こちとらこれでずっと生きてきてるんだよ。単純に私が死んだあとに私が嫌いだったやつらが笑っていることが許せないので、怒りを足に巻き付けて歩いてるのと同じなんですけど。赦しを乞うくせに他人を許す器量は持ち合わせていないの最低だよな!わかる!だからっつってなんだってことはないんだけど。選べなかった生き方を夢想することの何が悪いんだ、私だって大学生になりたかったし沢山稼いで沢山親孝行したかった。それでも、社会人になったのも自分の責任だし少ししか稼げないのも自分の責任、少ししか親孝行できないのも自分の責任なのでどこかの誰かを恨むくらいなら自分の生き様見ながら酒でも飲んだ方が楽しいと思うんだよな、未成年だからまだ飲めないけど、いつか飲む日のために年表でも作っておこうかな。