貝になりたい気持ちもわかる

実は最近、書く文章が思い付かなくて、思い付いたと思ったら愛がどうだとか恋がどうだとかこの世は地獄だとかそんな誰でも思い付くような話で、自分には才能がないことを自分の思い付く文サラダによって証明されていた。はっきり言ってつらい、これがスランプってやつなんだろうか、人生のスランプは生まれたときから始まっているのでそれに関しては閉口するしかないのだけど、文サラダを作り始めてからは少なくとも及第点をくれてやれるような代物を作り出せていたのに。私も年頃なので人並みかそれ以上に恋や愛には興味があるし恋愛脳(笑)なので三度の飯くらいは好きだ。でも、もう語り尽くされたような言葉で月並みな表現しかできないのになぜ文サラダを作る意味があろうか。そりゃまあ、身体の芯から来るような震えを少しでも緩める延命処置のためだから、思い付いた文サラダは全てアウトプットしたいんだけど、アウトプットするだけなら別に紙にゲロ吐くみたいにして書きなぐってBBQの火種にでもしてしまえばいいんだよな。私のようなクソ凡人が自分の心情を吐き出す理由なんて自己嫌悪からくる自傷行為/自慰行為のためくらいしかないと思っているので、それしか頭に無えのかって感じなんだけど、私のようにひどく矮小で厚顔無恥で劣悪な性格を持つ人間だからこそ内に燃える自尊心の炎を吐き出さねば生きていけないのだろうな。私はそんなことをするために生きているんじゃないんだけど、私が無意識にそれを求めているなら仕方ないのかもな、いや仕方なくないわ。今週ピークくらいで死にたいし、心臓もうるさいし、眠たいし、頭撫でられたいし膝枕されたい。誰も私を認めてくれないとか言ってるけど、認めてもらえるようなことしてないじゃんな。義務を果たさずに褒美だけ要求しているんだ私は。深い深い安寧の海の底に潜っていってそこに定住したいな。